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Suite Sweet Suite

キミが鍵を開けたから、最後の部屋が とびきりSWEETなスイートになった
2019年03月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2019年05月

大切な日に・・・

もう何年も前のこと。

私にしては大きな本番があって・・・

自信がなくて、竦んでいた私は
「頑張れって言ってもらえたら・・・」
と、カカオにお願いしたんです。
(↑思えば既に好きだった・・・)


「頑張って! でも
 楽しむことも忘れずにね^^」

そう励ましてくれたカカオは、
その本番が終わった後
お礼と成功の報告をした私に
悪戯っぽい口調でこう言いました。


「ボクにとっても、
 ちょっと特別な日だったんだよ」

「それってもしかして…」

誕生日?

驚いてそう聞いた私に、
そうそう、とカカオは笑って。

その時の私はまだ知らなかった。
カカオが冗談でも、自分からそんなこと
言うタイプじゃないってこと。

カカオにとっても多分、
既にちょっと特別だった(かもしれない)私。

そんなこと、夢にも思わずに

「カカオともっとよく知りあえたら…」

そう願っていたあの頃が
今となってはちょっと懐かしいです。


今は…離れた場所からだけど
直接伝えられる喜びを噛みしめながら・・・

「お誕生日、おめでとう」


20190203.jpg
今いちばんしてあげたいことは
カカオの凝った首や肩を揉みほぐすこと・・・





シロップ


き、記事が出せたのは
本日ギリギリ、滑り込みセーフ!
紛らわしい時間帯にすみません












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ポジティブ思考にご用心

『物は考えよう』と言うけれど・・・


ボクは昨年の元日に出した記事に、

“今年はたくさんの気づきに出会える年にしたい”

と書いた。

1年を振り返ると、いろいろあったようにも思うけど、
ボクが“気づき”のように感じたことのほとんどは、
実はボク自身が(ある意味、得意の)『物は考えよう』を駆使し、
ポジティブな落とし所として着地した“考え”に
すぎなかったのではないかと・・・

気づいた。

ボクは決して、
根っからポジティブな人間というワケではない。
早々につけた諦めの上に
ポジティブ思考を展開するのが得意なだけだ。

物事をごく自然にポジティブに捉え
快活に生きている人を「ハッピー人間」とするならば、
ボクのように、
受けた悪い印象、抱いたネガティブな感情を
『物は考えよう』でポジティブ思考に変換するタイプは、
「ハッピー人間」ぶりっこにすぎない。
実際、無理やりな思考に閉じ込められたボクの本当の感情は
行き場を失くして呻き声を上げていたりするのだ。

ならば、考えることに
何か価値があるのだろうか。

考えずともポジティブでいられる人がハッピーなら、
自分の中のネガティブをそのまま受け入れ、
考えずとも怒ったり、愚痴ったり、
落ち込んだり出来る人もまた、
ある意味ハッピーと言えるのではないか。
(こんな自分ではいけないと苦しんでいる人は別として、
 しばしば羨ましささえ感じることが実際ある)


でも多分・・・問題なのは
『物は考えよう』でも『考えること』でもないんだろうな。

ポジティブではないけれど
特別ネガティブというワケでもなく、
感情をストレートに出すことが苦手なボクにとって、
物事を多角的に考えてみるという作業は
ごく自然な反応であり習慣で・・・
言ってみれば、ハッピーな時間でもあるはずなのだ。

問題は、ボクの中に植えつけられた
“ボジティブ思考信仰”
のようなモノだろう。

そうやって物事まとめておけば、楽、平和、安泰・・・
ひいては、正しい。
・・・みたいな。

あぁ、なんて安易な・・・

『物は考えよう』の中での一案ではあるべきでも、
行き先、結論はいつも同じ、
「さぁ、前を向いて進もう!」なポジティブ思考が
常に選ぶべき「正解」だなんて
ボクはいつの間に決めた?

もちろん、ボクの事を思ってくれての誰か、
第三者からの励ましやアドバイスなら
有り難く聞こう。

でも、ボク自身が、
時に大切にすべき自分の気持ちを押し殺してまで
根拠のない信仰から「正解」の座につけた
ポジティブ思考の指図に従う必要なんてない。

向きたい方向を向き、
進みたきゃ進みたい時に進む。
それでいいんだ。


と・・・

せっかくの“気づき”を元に
『ポジティブ思考』をネガティブに考えてみたつもりが・・・


あれ?
なんか、印象、ポジティブ???


ポ・・・ポジティブって・・・


何だっけ。
20190109-40.jpg
カカオ




言葉にしたくない理由は・・・

前回の記事の続きです。


「・・・っていうのは、どう?」

言葉にすることについての考察を
話してみた私に、カカオは・・・


「うーん
 わかる気はするけど・・・」

頷きながらも、こう話してくれました。

「音楽の話でたとえると、
 ボクのイメージとしては、そうだねえ・・・
 PCで音楽を聴くとき、イヤホンだと
 綺麗な音でしょ?

 でもイヤホン抜いてスピーカーから出すと
 すごく割れた汚い音になっちゃう。

 ボクにとって、言葉にして言うっていうのは
 そういうイメージなんだ」

なるほど…(*゚。゚)*

面白いなと思って私は聞きました。


そして思い出したこと。
ずっと以前に旅行に行った時、カカオが私に
綺麗だよ、と言ってくれたことがあって・・・

私はとても嬉しかったのだけど、
言ったカカオは瞬間めちゃくちゃ嫌そうに顔を歪めて
「すごく嘘っぽくなる、だからイヤなんだ」
と悶えはじめ…
その姿を見た私は、カカオにとって
こういったことを口に出すことが
こんなにも嫌なことなのだと改めて思い知りました。

カカオの中では、イヤホンで自分に聴こえる音で
その気持ちが綺麗に流れていたのですよね。
外に出した瞬間、カカオにとっての真実は
失われてしまうのかもしれません。

ただ、あの時口に出してくれなければ私は今も、
カカオが私を綺麗だと思ってくれる瞬間があるということを
夢にも思わずにいたことは確かです。
そして今でもあの言葉が、自分にとって
何度も反芻するほど幸せなものであることもまた、確かなのです。

きっとどちらが正しいということではないから、
お互いがお互いを認め、理解し…

(当たり前のことだけれど)
2人は別々の人間で、
違う考え方を持っているのだということを
尊重し合える関係でいられたらいいな・・・

愛情表現を言葉にすることに関して考えたことで
より、そう思うようになったのでした。

20190121-1.jpg
     《あなたはあなた、わたしはわたし》


シロップ



*おまけ*

「聴きたいならば、スピーカーでじゃなく
 シロップの方からイヤホンを刺して
 聴いてくれるといいんだけど」

「ほ、ほう…」
20190121-4.jpg


「ま、刺し口があるかどうかもわからないけどね」

「……」
20190121-3.jpg









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言葉にされると嬉しい理由は・・・

愛されていることはわかっているのに
言葉にして「好きだよ」って言われると
やっぱり嬉しい・・・

それはカカオが言葉にすることが
苦手なひとだって良く知っているから
普段は求めていないはずの私でも、

やっぱり嬉しい・・・

それってどうしてなのか、
カカオに説明しようとして考えたこと。

愛しているっていう状態って
心の中で流れている
音楽のようなものなんじゃないかな?

その音楽が素敵なものだってことは
わかっているし、感じているけれど・・・

音楽はやっぱり
耳で聞くと嬉しい・・・
20190118-10.jpg

カカオに「愛してるよ」って言われると
大好きな音楽を再生してもらえたような
えも言われぬ幸せな気持ち。

ね、それって
「この中には素敵な曲が入ってる」
って知っているCDのケースを
抱きかかえているだけより、
ずっと五感に響くじゃない?


・・・って思った私。

(*決して「好きだよ」の言葉を
 強制しているのではなく、
 恋愛観について話しているというか・・・
 カカオが言ってくれたときの嬉しさについて
 話しております)


それを聞いてカカオが言ったことは・・・

次に続きます*^^*




シロップ





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ボクはボクなりの「する優しさ」を

シロップが今年の抱負として、
「“しない優しさ”の実行を目指す」と書いていた。

しない優しさ・・・

“する優しさ”は、それがどんなに大変なことでも、
しているという実感があれば
自分も喜びや満足感が持てるけど・・・

“しない優しさ”の場合、それらが得にくいだけでなく、
感情的にはしたい思いを堪えるという意味で
相手への信頼だったり、
時に相当な忍耐を要するモノであるような気が・・・?

こういうモノ、とハッキリ説明もしづらいし、
なんだか難しそうだよね。

ボクがそれを持ち合わせているかのように
シロップは書いてくれていたけれど、
なんかちょっと・・・違うかも・・・。

ボクは、誰かに何か“して欲しい”というより
“しないで欲しい”と望むことの方が多いタイプなので、
誰かにとって良かれと思う何かを考える時、
自然と“~しない”ことの方が思いつきやすいというだけで・・・
逆に言うと、
“する”方では、全く気が利かないってヤツ。
決してそんな、褒められた話ではないんだ。(;^_^A

“して欲しい”より“しないで欲しい”が多いなんて言うと、
人間関係で深入りを望まない一匹狼みたいに思われるかな。

でも、実際のボクの気質はその逆のように思うし、
一匹狼どころか、それこそおめでたく
「人類みな兄弟♪みな仲間♪」くらいに思っているからこそ、
“しないで欲しい”が増えるとも言えて・・・

求めるパーソナルスペースは
人よりやや広いかもしれないけど、
しないで欲しいことをしてくる人には即座に背を向けて
“する優しさ”をくれる人ばかりに寄っていく・・・
そういう人たちよりは、人間や、少なくとも社会には
深く関わっているんじゃないかとも思うけど。

それから、とても有り難いことにこれまで
人がくれる“する優しさ”にたくさん恵まれてきたから、
というところもあるのかも。
それは素直に感謝すべきことで、
慣れて当たり前のようになってしまっているのなら
ヤバイよね・・・

でも、
たくさん触れてきたからこそ
「それって本当に優しさ?」と思うモノの見分けも
少しはつくようになってきた。

優しさって、その場限りであれ、結果としてであれ、
受け取った人、その人自身の人生の中で
何らかの助け、足しとして(無意識であれ)残っていくモノ。
与える方の思惑が絡んだ時点で濁ってくるから・・・

自分が“する”側である時も
懐疑的になりがちというか、
自信が持てなかったりするのかな。

“する”、“しない”、いずれにしても、
意識した時点で優しさって、難しくなるモノなのかもね。


“しない優しさ”について
ボクが考えを巡らせ、たどり着いた先には
『許す』という言葉があった。
“しない”、なのにヘンな気もするけど・・・

追及しない、糾弾しない、恨まない・・・
こうした難易度の高い“しない”の先の究極に
それがあるような。
一歩間違えればそれは『諦め』にもなりかねず、
そうなると、“優しさ”とはまた別モノに
なっていくのかもしれないけどね・・・。
(突き詰めて考えるのは、シロップに任せておこうヽ(▽⌒*))

一方でボクが思う、究極の「する優しさ」は・・・

“いつも本気でそばにいること”・・・かなぁ。

その人の気持ち、その人の選択、その人の歩みに、
何をどうしたら少しでも
助けや足しになるようなことが出来るのかを
本気で考えながら、そばで見守っていること。

コレがダメなんだな、ボクは。
本気になればなるほど、
ついやり方に余計な口を出しちゃう。(ノ_-;)
(“する”方を考えながら
 結局“しない”ことの方を重要視しているという。笑)


でも、シロップが新たに“しない優しさ”を・・・と言うなら、
ボクは“する”方で、
ボクなりのコレを目指していこうかと思う。

言葉や態度で示す、わかりやすくて気の利いた
(そしてヒジョーに苦手分野の←)“する優しさ”の方も・・・

も、もちろん頑張る・・・けどね... ( ̄ー ̄;


カカオ
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