何年か前、
NHKで
『昔話法廷』という番組をやっていました。
「カチカチ山」や「浦島太郎」等の昔話を事件化して
登場キャラを裁判にかけるというドラマ仕立てになっていて、
判決を下すところまではせずに
「さて、あなたが裁判員だったら?」と問う教育番組。
ボクとシロップは、何かにつけてよく
二人の性質の違いをアリとキリギリスにたとえ、
過去に記事にしたりもしていたので・・・
↓↓
「愛しのカカオギリス」 「凍えないキリギリス」この番組の第4話
『アリとキリギリス』裁判は、特に興味深く観ました。
アリとキリギリスは幼なじみで兄弟同然の親しい関係だったが、
冬になり、飢えて「食糧をわけてほしい」と頼みに来たキリギリスを
「蓄えは家族が冬を越すためのぎりぎりの分しかない」と言って
アリは追い返した。
翌日、キリギリスは自宅で餓死。
アリは、保護責任者遺棄致死罪で有罪か?それとも無罪か?
というのが争点。
アリのキリギリスに対する保護責任の有無、
あるいは、ぎりぎりの食糧事情下での責任能力の有無、
そして
「遺棄致死罪」にあたるような確固たる認識の有無に疑問を感じ、
法廷内で出された検察側の証拠だけでは
到底有罪とするには不十分、とボクは結論づけましたが・・・
そんな私見はどうでもよくて。
「自分がアリだったらどうするだろう」
この難しい問題において
当然考えてみたその自問の答え・・・も
この際置いといて。
「難しい問題」だの「当然」だのと書いたけれども、
本当に全ての人がコレを「難しい問題」と認識し、
「当然」のように自分の身に置き換えて考えてみるのだろうか?
ふとそんなことを思ったのです。
そしたらあることに気づきました。
そういえばボクだって、
「キリギリス族」を自称していながら
そのキリギリスがどんな気持ちで死んでいったかなんて
ろくに考えなかった。
それは、変な「同族意識」があるゆえに
「キリギリスたるもの、
冬は凍えて飢え死ぬ覚悟ぐらいつけておけよ。みっともない」
と、どこかで妙な反発を感じたからに違いないと思うのです。
アリがキリギリスに食料を分け与えていたとしたら
アリの家族たちはどう思うだろうとは考えたけど、
キリギリス側の身内の気持ちまで深く考えようとはしなかった。
(どうして冬を生き延び、法廷に出廷できてるんだろう
なんて思うありさま。
汗)
裁判員になったつもりで公平に考えようとしていた
ボクの実態がコレ。
すごく共感できる、あるいは全く理解不能。
仲間意識、はたまたライバル意識。
思い込み。偏見。
好き。嫌い。
何かが挟まってきた途端、
本当の意味で「公平」でなんかなくなる。
はじめから
「どこが難しい問題よ?アリのしたことは当然!」
とか
「見殺しにしたんだから有罪!」とか、
何かが挟まりまくりで即決する人がいてもおかしくないし、
無駄な抵抗を諦めた、ある意味正直者なのかも。
ボクはそういう人たちをこっそりと
(ちょっぴり羨ましささえ感じつつ)『自己中ばか』と呼んでいて、
たとえばそれに乗じて「アリは死刑だ!」なんて叫ぶ人たちを
『極論ばか』と呼んでいます。
ボク自身は、いつも中間点あたりをウロウロして
なんとか折り合いのつくところはないか探してみる、
それが最良の策だと思い込んでいる『折り合いばか』
だと思っていたのですが・・・
知らず知らずのうちに何が挟まって
どっち寄りになっているかなんてわからない。
わかりもしないくせに良しとしている
『自己中型折り合いばか』に過ぎなかったんだなぁと
今さらながらに思ったのでした。
あれ・・・?
こんな話をするつもりじゃなかったような・・・
(汗)シロップがアリだったらきっとこうするだろう
というボクの勝手な想像と、
ボクがアリだったらどうするとシロップは考えるだろう
ということを書くつもりだったような・・・
この記事、「カカオノイズ」の方に移そうかな
(汗)ま、いっか(笑)
アリに扮したシロップと↓

キリギリスに扮したボク、だけど・・・↓

ボクの方がよっぽどアリっぽく見えるという(笑)
カカオ