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キミが鍵を開けたから、最後の部屋が とびきりSWEETなスイートになった
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そこの子どもたちを憂う~児童相談所建設計画について

南青山に複合児童施設を建設する計画に対し
一部の住民の方々が反対なさっている件・・・
に、ついて。

著名人を含め大勢の人たちが
それはおかしい、と声を上げてくれています。

私は、育ちも普通の家庭ではないし、
今も施設の子どもたちに関わっている立場で・・・
こういうとき、なんだか心が固まってしまい
熱い言葉が出なくなってしまいます。
この記事も、結局何が言いたいのか
わからない内容になってしまうかもしれませんが
それでも書きたいと思ったのは
児童虐待の事件の時のように
ささやかでも声を上げ、意見を表明することが
大切だと思うからです。


率直に言うと、ニュースを見て一番に思ったのは
「やっぱり、嫌われているんだなあ」
ということです。
それはもちろん、子どもそのものも含め、
児相に関わる人間がです。
トラブルが起きそうなこととは関わりたくない、
誰もが本心ではそう思っていることだと思います。

今回は児相だけでなく、母子生活支援施設や
触法少年たちの保護施設も入った
複合施設であるということなので
児相だけに焦点を絞ることは勿論できません。

法を犯した少年たちを街に迎えることに危険を感じる。
事情があって配偶者のいない女性とその子どもが
街に住むと周りとの落差を感じてかわいそう。

これらは南青山の一部の住民の意見ですが、
言っていることが全くわからない訳ではありません。

私や施設の子たちに、大金を払って
そこで暮らす権利を買った人たちのことが
本当にはわからないように、
住民のかたたちにもまた、施設にいる子や母、
少年たちのことは想像するのも難しいはずです。

相入れないから、反対する。
わかりあえないから、関わりたくない。
それは仕方のないことかもしれません。


・・・なんだか。
わかってほしい、少しでも考えてほしい、
そんなふうに訴える気持ちもあまり湧かなくて・・・

それが事実なら、仕方ない。
そんな気持ち。
だからここで、主張したいことが
あるわけではないのだけれど・・・

今回ひとつ思ったことは・・・心配だったことは
南青山の子どもたちのこと・・・

上流?家庭で、お金をかけて
大切に育てられている、そんな子どもたちが
大半なのかもしれないけれど・・・

それでもこれは確かなこと。
どんな場所にも絶対に虐待は存在します。


「ここのブランドイメージを下げないで」

そう言う人がいる街では
私たちの街のように、子ども食堂など
きっと無いのだと思います。

朝食を食べられない子たちのための
早朝の学校での食事支給なども無いのだと思います。

けれど青山にもきっと
お腹の空いた子どもはいるでしょう。

お金はあっても、育児放棄されていたり
あるいは親が心の病に侵されていたりで
食事や愛情を欲している子はきっといるでしょう。

児相を受け入れないということは
そういった子たちの行き場を無くすことでもあります。
それを思うと、私はとても切ない。

もうどうにもできないとしても、願わくば
児相を受け入れない街の子どもたちが
助けの無い中で追い詰められないように。

そして今回受け入れられなかった子どもたち
(あるいは母親)が
幸せに暮らす場所に辿り着けるように。

私は自分にできる活動を細々とするしかできないけれど
心からそのように祈っています。



シロップ
20181219.jpg


追記 (蛇足かもしれませんが・・・)
カカオと話していて、
「一部の意見だけを多勢のように印象付けてしまう
 報道のあり方にも問題はあるよね」
そう2人で頷き合いました。

実際に賛成されている住民のかたもいらっしゃいました。

逆にこんなふうに言っているかたもいました。
「ここみたいな綺麗なものがたくさん売っている街に来たら
 児相の子たちは絶対万引きをしてしまうと思うんだよね」

意地悪で言っているのではないのかもしれません。
これを言うと賛否両論あるかもしれませんが
実際に起こりうることではあると
実態を知っている私は思わなくはありません。
(青山に限った話ではないとは思いますが)
けれどそれは、児相にいる子どものすべてではなく
ほんの一部です。

そして、今回批判されるような反対意見を
声高に言っている人も
きっと南青山の住民のほんの一部なのだと思います。

お互いがお互いのことを想像で決めつけず
わからないならば知る努力をするということ、
それができる社会であればいいと心から思います。

(・・・本当に長くなってしまいました・・・
 もっと上手くまとめられたら良いのですが・・・;)









二度と来ないかもしれない機会~児童虐待について~

夏は毎年、旅行をしていた私たち。

カカオも忙しく、また私も不規則な仕事のため
朝まで一緒にいられる機会というのは
めったになく、だからこそ貴重で・・・

年に一度の旅行を、私たちはとても大切に
楽しみにしていました。

けれど今年は、諸事情で行けません。

とっても残念だけれど、
旅行ができていたことって、幸せなことなんだなって改めて思い、
より周りに感謝する気持ちになりました。

と同時に、幸せなことってずっと続くとは限らなくて
いつ最後になるかわからない。
(旅行はまたいずれ行けると思いますが(^^;;)

だからこそ、大切にしなければならないのだと
改めて実感しています。


     **********


ずっとここに書こうか迷っていたことが
いくつかある中の一つ・・・

それも、いつでも書けるとは限らない。
だから(ちょっと繋げ方が強引かもしれないけれど)
これを機に書いてみたいと思いました。

それは児童虐待についてです。

今、とある事件をきっかけに、
何かと話題になることも多く・・・

許せないと思う気持ちや、
何かしたいと思う気持ち。
それらをネット上で目にするたび、
自分の役割について考えていました。

私は自分の生い立ちもあって、
児童虐待についてはずっと長く
個人で、あるいは仲間と、活動をしています。

それは簡単に言うと、虐待の疑いがある子どもとコンタクトを取り、
一時的でも幸せな時間を過ごせるような場所を作ること、
それと並行して家庭環境に気を配り、子どもたちの様子を観察し、必要があれば保護に向けて動くこと、
それらを自分の仕事と繋げ、地域のかたと協力しながら行っています。
(個人情報もありオブラートに包んだ表現しかできなくてすみません)

でもこれは急に誰もができることではないので、
まずは一人一人が、何かしたいと思ったときに
できることを私なりに書きたいと思います。

もしも通勤中の道やエレベーターで
時々一緒になる子どもがいたら、
まずは、おはようと挨拶してください。

警戒する子もいると思いますが、
にっこり笑いかけ、一言の挨拶だけでいいのです。
よく出会っていて、ちゃんと挨拶していれば
子どもも挨拶を返すようになってきます。

そうしたら、その子が笑っているか、
身体に複数の痣や怪我がないか、
衣服や持ち物が清潔か、
痩せすぎていないか、
それを気にしてみてください。

極端な話、それだけでもじゅうぶんです。
大人1人1人が、自分の近くの子どもに気を配ること。
あなたが元気で幸せでいてほしいと思っていること、
それが伝わるだけで子どもは救われます。

心開いて話しかけてくることは難しくとも
気にかけてくれる大人がいるとその子が知る、
そのことが大事なのです。

そうして何か不自然だと感じることがあったら
児童相談所に電話をしてほしいと思います。
検索しなくても、189(いちはやく)という3桁だけで
お住いの地域の児相に繋がります。

間違いでも取り越し苦労でもいい。
(このことは後述します)
それが本当に虐待だった時、救うのは行動です。

報道では血の繋がりのない人間がする虐待ばかりが取り上げられますが、
実際にはほとんどが実の両親からのものです。
ということは、いま普通に暮らしている
隣近所や、同じマンション内で
そういうことが起こっている可能性があるということです。
決して珍しい話ではないのです。

何でもかんでも虐待と言われるようになると、
親を追い詰めてしまったり、子どもを育てにくい世の中になるという懸念もありますが、
虐待かもしれないという目を持って見ることは
やり過ぎではないと私は思います。
子どもを育てている親の立場に立って
思いやり、助けることも大切であり、
子どもを気にかけるのと同じようにそれをしていくことができると理想ですが
今回は子どもに対してできることについて書いています。

私は以前カカオの住む場所で、
エレベーターで一緒になった小さな男の子に話しかけて
カカオがびっくりしたことがありました^^;
大都会ではご近所付き合いもあまりないし
話しかけたりする方が不自然だからだと思います。
(カカオは私の活動をとても理解してくれているので、びっくりしただけで、やめた方が良いとかは全然言われてません)

私は子どもを見れば、その子が何か抱えていないか
触れ合い観察する癖がついています。
そうでない場合はなかなか、土地柄によっても
挨拶すら難しいかもしれません。
でも、私はそれは必要なことであり
間違った行為ではないと思っています。
(もちろん慎重に、強引にならないように、じゅうぶんに気をつけて声をかける必要はあります)

だから、何かしたいと思ったとき、
近くの子どもに挨拶し、気にかけてほしい。
それを心から望みます。


児童虐待についての文献を読み、深く知ることや
オレンジリボンへの募金も確実に役に立ちます。
資金も人手も足りないので、その気になれば
できることはたくさんあります。
またその先についても書けるようなら書きたいと思います。

恋愛について、恋愛観について
ほんわかでき、時には考えられるような内容を目指していたこのブログで、このようなことを長々と書いてしまいました。
色々と反省点はありますが、人にアドバイスをするという覚悟を持って、私自身も今よりもっと、精進して活動していきたいと思います。

長くて読みにくい記事を、読んでくださって
どうもありがとうございました。



シロップ


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*コメント欄は閉じてありますが、何か思うところがあれば
 空いている記事にていつでもお待ちしております。




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どんな関係でも、ずっと好きなままで。

カカオと私とは恋人同士という関係だけれど、
ときどきカカオのことを
親友のように感じたり、あるいは
母親とか、姉のように感じたりすることがあります。


私が小さい頃に親をなくしているから
恋愛と母親への思慕を混同しているのではないか、と
昔、そういう意見を気にしていた時がありましたが、
今は、精神的、経済的に
親代わりに依存するというのでないならば
恋人をあらゆる存在として感じるのは
ごく自然なことなのではないかと思うようになりました。


母親や姉、女友達といった、同性に限定してではなく
中性的な部分のあるカカオは、時に兄のようだったり
父親や弟のように感じられたりもする、
私にとってはとても、豊かな人間性でもって
多方面から尊敬できるかけがえのない人であります。



     **********



このことを考えると、いつも思い出すこと。


カカオと私は、ずいぶん昔のことになりますが
一度恋人という関係を解消したことがあります。

振られたかたちになった私もつらかったけれど
振らざるを得なかったカカオはもっとつらく
お互いにとって、試練のときでした。


私はまだカカオのことが好きで仕方なくて
だからこそ、もう友人として
連絡を取ったりすることはできないと思いました。

これ以上は恋人の領域、というところで
線引きされることが耐えがたく、また
好きという気持ちを表さないことが難しすぎたのです。


けれどカカオは、そうではなく
私が困った時は力になりたいし、
それは恋人でなくなっても何も変わらないと言いました。

私がそれを拒むと、カカオは寂しそうに
「恋人じゃないなら必要ないということならば
 私という人間そのものが好きなのとは違うんじゃないか」
と呟きました。


当時とても考えさせられたのを覚えています。

本当に好きだったら、別れても繋がっていたいと思うのか。
それとも本当に好きだからこそ、それが無理なのか。

正解などはなく、人によって違うのだろうけれど・・・
私は無理な方の人でした。


そうすると、考えるのが冒頭のこと。

カカオを親友のように姉のようにも思う・・・
どのカカオも魅力的で大好きに思う。
これは本当のことだけれど・・・

私の場合、「恋人であること」が大前提で
他のどんな部分も、恋人であるからこそ
好きだということでしかないのだろうか・・・

そんなふうに悩んでしまうのです。


これからもっと歳を重ねていくにつれて
恋人の部分は別の役割にシフトしていくのが自然だし
難しい問題だけれど・・・

カカオともっともっと、ずっと一緒にいて
もう恋人とか、親友とか、家族とか、
そういう言葉での関係性を超越して
「カカオ」と「シロップ」という、オリジナルで
かけがえのない関係になれたら・・・
それが一番素敵なのかもしれない、と思います。


20180428.jpg

・・・だけど・・・
恋人を超えた関係になるのが目標とは言っても
別の恋人をもしカカオが作ったら、嫌だなあ・・・

そう思うと、やっぱり恋人というのは
私にとって唯一無二の関係性であって
ずっとカカオにとってのソレでいたいものみたい。


うーん・・・
私もカカオにとって、母であり妹であり姉であり
そしてやっぱり恋人でもいられるよう、
これからも努力していきます・・・が、いいのかな

まとまりませんが、このへんで・・・



シロップ



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誰に何を言われても ~シロップの宣言~



「あなたはカカオさんに相応しくない。
 一緒にいるとカカオさんをダメにする」

そういう言葉を目にしたのは、最近のことでもなく
また私をよく理解している人のものでもありませんでした。

(なぜ相応しくないのか…という内容に関しては
 ここでは記述を控えますが、
 ブログに一部書いてある私の生い立ちや
 考え方を読んで、ということだと思います)

私には理解者も味方もちゃんといるのに、
私をよく知らない人の言葉を気にして悩むのは
全ての人に好かれたいと望む傲慢さでしかない。
そうわかっているのに、私はその言葉に囚われ
カカオへの気持ちをどんどん書けなくなっていきました。


基本的には、特定の人物や物事に対して
何を思っても、発信しても
それは個人の完全な自由だと思います。
だから私は、その言葉そのものや、
発した相手に憤っているわけではありません。

なのになぜ、なかなか吹っ切ることができないのか
自分なりに考えたところ、
私が長いこと、この言葉をきっかけにした諸々に対して
心の中でどこか同意してしまっていて
自分はどう思うのか、どうしたいと思っているのか
何の意思も表してこなかったからではないかなと
思い当たりました。
なので私自身としても、このブログのシロップとしても
一度きちんと言葉にしてみたいと思います。


誰か(例えば親など)に、心から大事に思われるという
育ち方をしていない私は、
人間として何か決定的なものが欠けているはずだと
自分でも思います。

それに加えて身体も強くなくて…

カカオを大事に思えば思うほど
「私じゃない方が良いのでは…」と
考えてしまう節は自分でもありました。


けれどだからといって、今の私は
カカオを諦めたり手放してしまうつもりはありません。

何年もかけて、カカオと私は
とても良く分かり合えるようになりました。
これからのところもまだまだあるけれど、
私という存在が一方的にカカオを不幸にするとは
今の私はもう思っていません。

とってもシンプルですが
私がこの記事で言いたいことは…

誰に何を言われたって・・・
私は、カカオを好きでいることをやめない!
ということです。

そう、その気持ちがカカオの迷惑にならない限り。

他の人からしたら、もしかしたらわざわざ
宣言するまでもないことかもしれないけれど、
良くも悪くも人の気持ちを考えすぎる私は
これを言えるまで何年もかかってしまいました…


特殊な環境下で育った私ですが
他の人が皆そうであるように、一生懸命に生きてきました。
これからも毎日、今日より良い明日になるように
一生懸命生きていきたいと思っています。
そして、その努力をしている限り何歳になっても人は
少しずつでも成長していけるものだと信じています。



20180117.jpg



コメント欄を閉じると書き逃げになってしまう…
とは思ったのですけれど、これを書くのに本当に
何日もかかってしまいまして…
今回だけは開けずに更新します。
またこれから、カカオへの気持ちや恋愛観を
ほのぼのと書いていきたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたしますm--m



シロップ














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猫と孤独


むかし 自由に生きた猫が
いまわの際に言いました

ああ
孤独だ

きみ
孤独は自由の副作用だよ

こんなに苦しい孤独を感じても
後悔しないと言えるほどに
僕は自由に生きたかったんだろうか


私が居るよ
と言いたかったけれど

果たして 私は居たんだろうか

自由を欲していたその猫に
くらいつくようについて行っていれば
その孤独感はなかったのだろうか


誰もが不自由を抱えて生きるのは
孤独を恐れるからなのだろうか

寂しさや後悔と共に
いつまでも思いだす
猫と孤独のこと



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シロップ